【本】「荻原重秀の生涯」を読んで2008/03/23 05:25

 「勘定奉行 荻原重秀の生涯」という本を読みました。

 荻原重秀って、ご存知の方が多いと思いますが、元禄期に柳沢吉保らの下で勘定奉行を歴任した人物です。
 貨幣改鋳を主導し、元禄のインフレを招いたとか、私腹を肥やしたとか、悪評の高い人物でもあります。

 本書は、そういう重秀の名誉回復も図った本であり、貨幣改鋳をやったという以外には、あまり知られていない同人物の色んな業績にも触れられています。


 で、感想は・・・

 まずこの荻原重秀という人は、相当、組織の中で「仕事のできる人物」だったんだなあ、と言うことですね。 
 ただ、横に並んで仕事をしたいかというと、「うーん、どうも・・・」と口ごもるでしょうね。

 「組織で仕事のできる人間」という定義は、いろいろあると思いますが、私見ではまず
「正しいことをする人間」
で、かつ
「実行力のある人間」
というところがあるでしょうか?(「そんなの当たり前だ。」とか言う声も聞こえてきそうですが)

 ここで言う「正しさ」とは、善悪とか道徳上の「正しさ」を言っているのではありません。
 組織の正しさ、というのは、組織の目的とかベクトルの方向による分けですが、これは一定していませんね。
 どの向きが、組織にとって「正しい」か、どこまでの範囲なら「正しい」と言えるかは、常に揺れ動いています。

(例えば・・・
 一時、食品偽装の話がニュースを賑わしました。
 あれをやった人間は、少なくともそれを行った時点では、組織にとって「正しい」ことをしていた分けですね。が、結果として組織にとっては「正しくない」ことを行った、と糾弾されることになった。このように、どこまでが組織にとって「正しい」かの基準はTPOにより揺れますね。)
 

 仕事の出来る人間が、「実行力のある人間」ということは、改めて言うまでも無いでしょうが。
 いくら立派なことを言っても、実行できない人間は舐められます。
 言ったからには実行しないといけないし、「出来る人間」とは実現困難な「無理を押すことの出きる人間」でもあり、どこまでの無理なら通るかを、適切に判断できる人間でもあります。

 どこまでなら無理が通せるか、を判断するには、組織がどの方向を向いているかを判断する嗅覚のようなものと、立場によらず組織をマネージメントして動かすことができる能力が必要になります。
(誰がキーマンか?、誰が何を考えていて、どの人間の意志は尊重しないといけないか・・・等々)

 荻原重秀の場合、彼の名前が大きく喧伝されたのは、綱吉将軍就任後の代官一斉摘発からのようです。
 重秀は十七歳で幕府勘定所に召しだされ、二十三才で勘定組頭になっていますが、地方代官の一斉摘発をやったのはそのころです。

 これは本社に採用された新人が、係長になった途端に、「職務怠慢」を理由に地方支店長の一斉首切りをやったようなものでしょうか?
 こういう無理な行為をやろうとすると、それが総論として正しくても必ず各論で反対が出ます。

「**さんは業績は低いかも知れないが、地方と重要な人脈をもっている」とか
「○○さんは、今は良くないかもしれないが、過去これだけの業績を上げたし、++さんの親戚でもあるので、粛清するのは気の毒だ。」とか。

 さらに彼の摘発は、自分自身が属する勘定所の幹部にも向きます。勘定頭三人全員を罷免し、その罪状摘発は重秀が行っています。

 おそらく勘定所内部には、重秀に対する怨嗟と畏怖の声が上がったことでしょうね。
 その反対論を抑えられたのは、彼が「正しい」ことを行っていた(当然組織のトップの意を呈していた)ことと、例外を認めずに摘発を行う意思の強さ(実行力)があったからでしょう。

 例外を認めずに物事を行うには、判断基準を明確にする必要があります。代官摘発に重秀がどういう基準を持ち出したかは不明ですが、その前に行った彼の検地のやり方をみると、業務マニュアルが非常に細かい。実施者の裁量の範囲で基準が揺らぐことのないよう、細部をきっちり決めようとした意図が感じられます。


 彼はこういう行為で名をあげ、やがて悪名高い「貨幣改鋳」に進みます。
(「貨幣改鋳」が決して悪政ではなく、当時の経済環境から必要なものであった、という議論は本書中に詳しく述べられているので、省きますが。)


 まあ、という分けで、彼は「出来る人間」であった分けですが、こういう人間と机を並べて仕事するのはどうでしょうね。
 相当に窮屈、というか怖い感じがするでしょう。


 少し話が逸れますが、この文を書いてて、荻原重秀と石田三成の共通点と相違点についても思いました。
 両者とも一般には「能吏」と思われているし、物事を行う前に、ルールとか基準作りを厳格にやるところは似ているところもあります。

 ですが、私はこの二人は根本的に違うと思いますね。

 というのは、石田三成には、この国とか組織自体を変えようとした、高邁な理想が感じられるのです。
 そういう意味で、三成は「能吏」ではなく(そういう側面があったことは否定しませんが)、政治家であり革命家であった。

 荻原重秀の場合にはそういった理想は感じられない。
 彼はあくまで組織の意を呈し、それを忠実に実行した、優秀な官僚・能吏であった、と思います。


 ただ重秀が不当に低く評価されているな、というのは良く分かります。
 重秀は優秀な官僚であり、そうであるからには、自分はどこまではやって良くて、どこから先はやってはいけないか、というのは良く分かっていたと思います。

 重秀の不倶戴天の宿敵・新井白石が、重秀を汚職し私腹を肥やした人物、と非難したため、彼はそういうイメージで見られているようですが、白石らの執念を持っても、重秀を罪に陥れる罪状が見つからなかったということは、やはり彼はそういう汚職はしていないのではないかと思います。

 ただ白石は後世に多くの著作を残し、それが史料として取り上げられているのに対し、重秀はその事績以外は何も残さなかった。

 それが二人の評価を分けているとすると、文章の持つ力と言うのは大きいと改めて思います。