大河「天地人」-十八回「義の戦士たち」2009/05/10 03:18

またまた一週間遅れで天地人の感想です。
魚津城救援に行けない妻夫木兼続が、非常に理屈に合わない戦略の提案をしていましたが、その辺の感想は横において、三成登場シーンの絡みだけ書きます。

といっても今回も1カットだけの登場でしたね。
備中高松城攻めを笹野秀吉とやってました。
「水攻めを見事な軍略」とか言ってたようです。

この当時、三成が高松城攻めの陣中にいたのは、妙心寺「霊牌日監」の記述等から類推してもたぶん確かでしょう。

この備中高松城水攻めは、黒田官兵衛の立案としている本が多いですが、出典は「黒田家譜」あたりなのかな?
官兵衛は中国春秋故事に倣って、この城攻めを思いついた、とされてますが、ちょっと信じがたいですね。

献策したのは三成とは言わないまでも、近江衆だと思うなあ。
この辺、あまり良く調べてないので適当に書いてますが、近江には水攻めの先例がありますからね。
その筋の人には有名ですが、六角義賢が近江肥田城攻めの時、水攻めをしています。
高松城攻めの20年くらい前になりますが、秀吉配下の古参の近江武将は当然覚えていたでしょう。

備中高松城攻めでは近江衆の活躍はあまり伝えられてないですが、まだ新参で高禄の人が少なかったからだけで、実務では相当活躍してたんじゃないかなあ。

ちなみに近江肥田城は、彦根市域にあって、佐和山城から南東に10kmくらいのところです。
またこの六角の水攻めは、「大雨で堤が切れて失敗した」というどこかで聞いたようなオチがついています。

大河「天地人」-二十回「秀吉の罠」2009/05/17 23:28

天地人第20回「秀吉の罠」の感想です。

舞台は天正十三年。

本能寺の変から一挙に三年飛ばしましたね。
まあドラマ進行上の都合でしょうが、上杉・秀吉の虚実の駆け引きという面では、この3年間が面白いのに!、何というべきか、という感じですね。

天正13年時点では、秀吉・上杉の上下関係はもうケリがついています。

上杉方が上条義真を人質として秀吉に出すのが天正十一年ですし、天正十三年の秀吉の越中攻めには上杉方は、ちゃんと秀吉の指示の下に出陣しています。

もちろん書状の上でも臣下扱いになるのは天正十四年六月の景勝上洛を待たないといけないですが、天正十三年時点では、「従うか従わないかは秀吉の出方次第」なんて妻夫木兼続が強気の態度を言えるような状況ではありません。

ドラマでは、越水(落水)の会談が描かれていました。
最後の方で出典に北国太平記?があげられていましたが、この逸話の出典としてよく言われるのは「上杉三代日記」ですね。
越中攻めを終えた秀吉が、三成ら近習三十八人を連れて越後越水を訪れ、景勝・兼続・秀吉・三成の4人だけで4時間近く会談したというものです。

この会談は上杉方の記録にしかないので「虚構だ」と言う人が多いですが、まあ個人的には、こういうことが史実だったら面白いな、とは思いますね。

史実での三成と上杉方の書面上の接触は、これを遡る三年前、天正十年の賤ヶ岳の戦いの頃から始まってます。

小栗三成、結構横柄で嫌な性格に描かれてますが(今後どうなるのかは知りませんが)、実際はドラマ中で兼続が
「石田三成は、以前から気配りのある書状を送ってきている」
と言ってたのが、史実に近いと言えるかとは思います。

大河「天地人」-二十一回「三成の涙」 ―2009/05/25 00:11

天地人第21回、タイトルは「三成の涙」でしたね。

「三成の涙」・・・なんていう思わせぶりなタイトルだと感想を書かない分けにもいきませんが・・・うーん、何から書いたものか。

冒頭、三成が女性のように華奢で綺麗だった、というような話がありました。
明治40年の朝吹氏・渡辺氏らの三玄院三成墓所遺骨調査で、三成の骨格の華奢な点が指摘されているのは事実ですが、同じ調査で三成が反っ歯だったという結果も出てるのに、それを無視してそういうことをいうのはどうかなあ、と三成贔屓の私でも思います。

当時の調査で調べた骨格が本当に三成のものだったか、ということにも議論の余地はあるようですが、三成が反っ歯だったことは津軽杉山家に伝わる三成画像(杉山画像=ただし三成生前のものではない)や、お父さんの正継画像からも裏付けられるし、石田一族の遺伝的傾向ですら。

まあそうは言っても、当時の肖像画からだけみても、三成のお母さんは美人ですし、お父さんの正継もなかなか良い顔つきしてるので、その子供の三成は、反っ歯はマイナスポイントとしても、そこそこの外見ではあったような気はしますけど。
(何か我ながら上げたり下げたりですね。でも三成が女性のように綺麗だったかは???)

あと三成仕官に絡む有名な逸話、三献茶の伝承も同じく冒頭で紹介されてました。
ただ私は何回か書いているように「三献茶」伝承は虚構と考える一派ですから、そういう点でも私にとっては突っ込みたいところ満載のオープニングでした。


ドラマ中で気になった話としては、一人で寺で暮らしてた三成が、家族の情愛に恵まれず、秀吉夫人の寧々の情愛に触れて涙した、というようなのがあります。
あれはどうかなあ。(三成の子孫の方から相当反発きそうですが)

石田一族は情愛の濃い一族だったと思いますよ。
これについては色んな逸話があります。
三成は母の供養もよくやってるし、父の為に菩提寺建立してるし、両親には孝養尽くしてますね。
父の正継も出家したのは、妻(三成の母:瑞岳院)の死を悼んでのことだ、という話も出るくらいですしね。(これは少し議論の余地ありますが、事実なら妻の死を悼んで出家した人物は、この当時は非常に稀ですね)
なにより関ヶ原・佐和山落城の最期まで一丸となった行動した石田一族は、その結びつきの強さを行動で示してますね。

なのに三成が家族の情愛に恵まれなかった、というのはどうもなあ、という感じですね。

まあ三成と寧の交流について触れてるのは、従来の三成は寧々(=北政所)と対立してたという俗説よりは進んだ解釈だとは思いますが。


貶すばかりではなくて、少し共感したとこを。
前回もありましたけど、小栗三成が「日本全体と言う視点から物事を考えるべき」と妻夫木兼続諭すシーンが何回かありました。
これはある種、三成と言うか、豊臣政権の一貫したポリシーでもありますね。
豊臣政権は国のあり方を変えようとし、その思想はこの国の秩序化と安定化でした。例はいくらでも挙げられますが、そういう政策は三成ら秀吉家中の若手らが担ってたわけですね。
この辺の豊臣政権の思想というか哲学というかは、例えば国内のパワーバランス上で政権維持しようとした足利政権などと大きく違う点と思いますね。


何はともあれ、小栗三成と妻夫木兼続は、今回の回でお互いを認め合う親友になったようですね。
この辺の展開にもちょっとついていけないところがありますけど