佐和山城現地発掘説明会2009/07/27 07:53

この週末は彦根に出かけてきました。
日曜の午前中に佐和山城現地発掘説明会、午後に桐野さんの北近江歴史大学の講演があるということで、その両方に参加しにいったんですね。

ちなみに佐和山城現地説明会があるということは、出かける前日まで知らず、元々の目的は桐野さんの講演だったのですが、イベントが重なり、私にとっては一挙両得というか、非常にラッキーでした。

まず午前中の佐和山城発掘現地説明会です。
この発掘は、佐和山城の縄張りの一部に治水工事が入るということで、その部分に関し工事前の発掘を行っているものです。
佐和山城の発掘が行われたのは実はこれが初めてとのことです。

発掘されているのは、大手の谷筋ではなく、大手の北側、大手に向かうと右側の谷筋です。
三の丸や美濃丸の北側で、馬冷池の下流側になります。「奥の谷」と呼ばれている部分です。

内堀の中ではありますが、城の中心部ではありません。
どうせ掘るなら大手側を、・・・と望みたいところですが、そういう言うわけにもいかないのでしょうね。工事の関係ですから。

でも意外にいろいいろ出土品がでてきており、発掘成果があがって新聞記事にもなっています。

というわけで現地説明会に行ってきました。その報告です。


非常に盛況でしたね。新聞記事のおかげもあるんでしょうが、200人以上は来てたかなあ。
発掘現場付近は非常な人だかりでした。

前日は大雨でしたが、この日は天候も何とか持ってましたね。
オンライン三成会で佐和山城に行くと、台風の日でも晴れる、というジンクスがありますが、そのジンクスは今日も健在でした。

発掘事務所のプレハブに行くと、出土品が展示されていました。
新聞記事で話題になった桐紋の紐金具もあります。

(ただ出土品から桐紋が出たという話ですが、確かに桐紋は豊臣家に繋がる紋ではありますが、元々武家一般には受けがよい紋であるので、豊臣家と関連付けてあまり過剰反応すべきではないようにも思いますがいかがでしょうか?)



やがて時間になり、現地説明会が始まりました。

「奥の谷」の谷筋に沿って、発掘成果を担当の方が説明してくれました。

いろいろ興味深い話がありましたね。

まず「奥の谷」の谷筋では、排水・治水用の堀や溝が盛んに掘られていた、ということ。
谷の上流には今は谷筋の水を堰きとめた馬冷池というものがあるのですが、名称から受けるイメージとは違って、この池は佐和山城当時のものではなく、江戸期に治水のため作られたものとのことです。
佐和山城が使われていた当時は、「奥の谷」の下流の沢筋の水量も多く、そこに堀や溝を築き、城の防備は元より貯水、飲用のための浄水池などに使っていたようです。そういう目的と思われる石組みが見られます。

発掘は谷筋の山際に沿った狭い範囲に集中しているので(その部分が工事が入るところなのでしょう)、谷の左右にどの程度の屋敷地が広がっていたかは分かりませんが、この「奥の谷」がかなり手の込んだ作りになっていることは窺えます。

また出土品のうち、桐紋の金具含む三成時代の16世紀後半の四半世紀のものは、この谷筋の堀から出ているそうですね。

実は発掘は、この「奥の谷」より大手に近い「第一調査区」というところでも行われていたのですが、そちらは柱跡などは出たものの、案に相違して三成時代の出土品は出ず、浅井時代のものしか出なかったとのことです。

大手に近いほうから出土品が出ないのは、ちょっと意外な話に感じます。

(ちなみに出土品の年代は土器類の特徴から判断しているようなのですが、この辺の数十年の差をうまく特定できるのかは私には分かりません。誰か詳しい方教えてください。佐和山城の性格を考える上では、どの部分がいつ使われいたかというのは、非常に重要なものになりますが。)


以下、現地説明会を聞いた私の勝手な推測です。
この発掘成果から、以下の二つの考えが出来そうに思います。

一つは大手筋と並んでこの「奥の谷」も城の防備上、そこそこ重要なポイントであり、堀の外側には重臣屋敷があったのではないか、ということ。だから三成時代の出土品が出ているのではないだろうかという考えです。
奥の谷の向こう側は「かもう坂往還」と呼ばれていますが、(び)さん説によると、これは蒲生氏に蒲生に通じるのでは、とのことで、となると蒲生系家臣の重臣級がここに屋敷を構えていたのではないかも知れません
(でも私は、ここか「かもう坂往還」といつから呼ばれるようになったのかは知りませんが・・・)

もう一つの考え方は、本来出土品があるべき大手に近いところから出ず、奥の谷の堀から出土品が出ているということは、これらの出土品は佐和山城・破城の際に、「奥の谷」の堀に捨てられ埋められたものではないだろうか、というものです
大手に近いところから出土品が出ないのは、その付近は田や畑になって表土が削られてしまったため、比較的時代が新しい三成の頃のものは出ないのではないか、ということです。

最初の考えが正しければ、これから先、もし大手に近い重要なポイントを掘れば、もっと遺物がいっぱい出てくることになります。
後の考えが正しければ、今回偶然的に遺物が多い場所を発掘したので、今後仮に発掘箇所が増えても、あまり佐和山城からの遺物発見は期待できないことになります。

もちろん前者の考えが正しい方が良いですけどね。
いずれにせよ佐和山の発掘は今回のを終わると、少なくとも今後しばらくは無いようです。疑問の答えが出る日が来るとしても先のことになります。

説明会が終わり、我々が発掘現場を離れると俄かに大雨になりました。(ちょっと半端じゃない雨量です)
午前の説明会に出た人は運が良かったですね。我々も三成会のジンクス健在を再確認しました。

コメント

_ Y ― 2009/07/29 13:17

当日はお疲れさまでした。意義深い一日になりましたね。私は第2班だったので佐和山城大手付近でびしょ濡れになりましたけど。
 
当方ブログでSHUNさんのブログを紹介させていただきました(というか、詳しい説明はこちらに振りました)。
http://www.sunrise-pub.co.jp/%e3%83%80%e3%83%96%e3%83%ab%e4%b8%89%e6%88%90%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%83%87%e3%83%bc/

※例の件、大変ですが、よろしくお願いします!

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_ 青春18切符で行く,日本の「城」巡り16 - 2010/12/15 11:51

oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。