新刊「関ヶ原合戦の真実」と旧拙稿「関ヶ原合戦の真実」について2014/12/07 14:27


新刊で「新解釈・関ヶ原合戦の真実」(白峰氏著・宮帯出版社)が出ていました。

内容は軍記物に記された関ヶ原合戦の様相が、実相とはかけ離れているというもので、そのこと自体には異論はありませんが、帯に書かれてるように「小早川秀秋は開戦と同時に裏切り、石田三成方は瞬時に敗北した」といのが、その眼目になっています。

このうち「石田三成方は瞬時に敗北した」というのには大いに意義あり、そのことはまたどこかで反論発表したいですが、「小早川秀秋は開戦と同時に裏切り」という点に関しては、桐野さんも同様のことを書かれていたかと思いますし、私もかつて似たようなことを記事に書いた記憶があります。

古い雑誌の記事を探していて、それを見つけました。
1998年8月の歴史群像です。
タイトルも同じ「関ヶ原合戦の真実」です。



「秀秋は戦いが始まる前から東軍に加担していたのである。」
「彼に貼られた日和見武将のレッテルは、彼自身にはきわめて理不尽なものだったのかもしれない」
などと書いていました。

15年以上前の若気の至りの頃の文章で、いま読み返すと浅学丸出しの赤面ものですが、いま同じことを言いだす方が出てきたことを思うと、なかなか当時も鋭い点をついていたのかもしれない、と自画自賛してしまいます(笑)。

ただ秀秋が開戦前から東軍についていたからといって、三成方が戦い始まってすぐに総崩れになったわけではない、とは思っているので、既述しているように、これについては、もう少し検討を進めてから論拠をまとめて発表したいと思っています。

少しだけ宮帯出版社の新刊についての感想を書くと、著者の白峰氏は一次史料の分析から結論を導いていて、その姿勢は正に正道と思いますが、一方で一次史料と言っても色んな史料がある分けですね。
戦いがすぐ三成方の敗北に終わったことを示す史料として、著者が引用しているものの中には、宣教師の報告などもあるのですが、これは現場にいない人の伝聞であり、そのまま信じるわけにはいかないと思います。。
一方で著者が「現場の生の声」として引用している、生駒利豊の書状では、関ヶ原の戦いでは激しい白兵戦が続いたことになっているので、この矛盾はどう説明するのかな?、ということがあります。

他の部分の感想もまた書きたいと思います。

吉継カフェと佐和山城フォーラム2014/12/14 23:03

この週末は関西に出かけてきました。

12/14(日)に、敦賀で大谷吉継に関するイベント「吉継カフェ」(4回目)があり、彦根では「佐和山城フォーラム2014」があったので、その辺が目的です。

ただ吉継カフェが終わるのが12時、佐和山フォーラムが始まるのが13時で、
「両方出たいけど、無理だろうなあ」
と半ば諦めていましたが、改めて時刻表をみると12:09敦賀発12:44米原着の特急があります。
米原からタクシー飛ばせば15分で彦根に行くだろうから、何とかなるかも知れない、と欲張ってハシゴすることにしました。

土曜は昼間は所用あり、終電で敦賀入り。着いた時は少し霙がぱらつく天気でしたが、翌朝起きてみると・・・



・・・大雪になってました。

果たして、どうなっているのかと「吉継カフェ」に行ってみると、大雪をものともしない参加者で会場は満席。
7割は女性かな。さすが吉継は女性に人気ありますね。
にあります。
カフェというだけあって?会場には飲み物とスナック菓子が準備されていて、常連っぽい方はセルフで適当に摂っていました。

講師は今年の三成祭でも講演された外岡先生。
本日のテーマは吉継の母親である「東殿」と吉継の出自に関するものです。

「東殿」の活躍ぶりを熱を込めて話される外岡先生。
時間12時までの筈ですが、なかなか終わる気配がありません。
レジメを読むと、最後に天台座主記にある「後家東」の記述から、吉継の出自を読み解く説明があるようでしたが、そこまで聞いていくと12時半くらいになりそうな雰囲気でした。
質問したいことも山ほどありましたが、特急の時間を考え、後ろ髪ひかれる思いで途中退出。会場を後にして、待たせていたタクシーに飛びのって敦賀駅に向かいました。

駅に着いてみると大雪で特急は延着。
ちょっと力が抜けそうになりましたが、気を取り直して、米原からタクシー飛ばし佐和山城フォーラムの会場へ。
フォーラムの方は結局5分ほど遅刻になりましたが、友人が前の席をとってくれていたので、そちらに滑り込みました。

佐和山城フォーラムの詳細は
あたりで。彦根市役所にも紹介ページがあったのですが、もう削除されているようですね。

藤田達生氏の基調講演「秀次事件と佐和山城」のあと、「佐和山古絵図を読む」(野田浩子氏)、「佐和山城跡における考古学的調査」(林昭男氏)報告と、3氏によるパネルディスカッションという構成でした。


藤田氏の講演は文禄4年秀次失脚時の政変を、秀吉家臣と秀次家臣の派閥争い・権力闘争という、昔からよくある考えに基づいて話されていて、その辺は「あれれ」という感じでしたね。秀次事件については、最近いろいろ新しい考察がされているのですが。

林氏の発掘調査結果報告は中々面白かったです。
地割や出土品から城下町構成を読み解いているあたりが興味深かったですね。
ただ、いま佐和山山上で進めている西の丸の最新の調査結果が聞けるかな、と期待していましたが、その辺は今回は報告無かったので残念でしたが。
野田浩子氏は江戸期の古絵図に記された佐和山城の内容に関する報告でしたが、城の門跡の位置等、往時の城域を考えさせるところがありました。

会場はこっちも盛況でしたね。
彦根の会場はご年配の方が多かったですが、懐かしい知り合いの方に会場で会えました。
資料、レジメも立派。彦根でも佐和山の認知度が上がっているようです。

「佐和山城フォーラム2014、というタイトルにしたのは、2015をやりたいから」
というコメントも主催者側からありましたが、また今後に期待したいです。

フォーラム後は同行の友人と懇談。
慌ただしかったけど、充実した週末でした。