頂いた情報-越前大野の三成墓・関ヶ原史料など-2015/01/12 09:02

最近、三成伝説やブログの読者からいただいた情報を紹介します。

一つは最近(といっても半年前ですが)、東京の方からいただいた情報です。
越前大野に石田三成の墓があるというものです。
写真にある地元紙に、その記事を書かれたそうです。

全国に三成の墓と伝わるものはいくつかあります。遺骨が三玄院に葬られたのは史実でしょうが、それと全国各地に三成の墓があるという事実は矛盾しません。
当時の考えで言えば、三成縁のものがそこに埋められていれば、そこを墓として供養することは問題ないので。我々の感覚でいえば供養塔という感じのものでしょうね。

越前大野にもそういう三成の「墓」があるというのは知りませんでした。
墓があると言われているのは、越前大野の鹿谷町矢戸口と書かれています。
興味深いのは、ここは東本願寺・教如上人ゆかりの地であるということです。

三成は教如の弟・准如を支持しており、教如とは関係が悪く、関ヶ原の戦いの時には教如は三成方の襲撃を受けるという法難にあった、というのが一般に伝えられているところです。
しかし私はその説には以前から疑問をもっていました。法難の伝承が非常に嘘くさく、後世に作られた匂いがするんですね。

教如ゆかりの地に、三成の墓(供養塔)があるというのは何を意味しているのか、いずれ現地を訪れて考えたいと思います。


また、このブログにもコメントいただいた又三郎さんから、関ヶ原の戦い/三成家臣団に関わる史料を紹介いただきました。
私には初見のものです。地道に一次史料を検討されている姿勢に頭が下がります。

関ヶ原の戦いについては、多くの人が議論されているので、私はもう書くことは何も無いか、と思っていましたが、最近の関ヶ原合戦論に触発され、やはり関ヶ原合戦の実相と自分が思うことを、まとめなおす必要があるか、と思っています。
紹介いただいた史料も含め、検討させていただきたいと思います。

ありがとうございました。

コメント

_ 又三郎 ― 2015/01/18 17:08

年の瀬に丁重なる返信を戴きありがとうございました。
この場を借りて、お礼申し上げます。

矢戸口の石田三成の墓ですか。
実は私もつい最近、大正六年発行の「史蹟勝地及天然記念物予備調査概要 福井県」の中で見た事があります。
説明に三成の一族の館址と書いてありましたので、館跡と勘違いして、色々文献に当たって調べた事があります。
しかし、書いてある文献がなく、頓挫してそのままになっています。そう言えば、その情報がありましたね。
うっかり失念していました。

ちなみに、矢戸口は正確には、勝山市になります。
大正時代の所有者は、「石田十治郎」となっています。
「十」を「とお」と読ませて、これが屋号なら三成の父、正継の通称「藤右衛門」に通じるものがあると思います。
三成の早世した兄は「弥次郎」と言いますし、何らかの関係があるのかも知れませんね。

ただこの矢戸口、冬期に訪問するのはやめた方が無難です。奥越は毎年雪が多い地方なので。

ちょっと調べて見ましたが、鉄道で行くならば、福井駅からえちぜん鉄道で発坂(ほっさか)駅で下車して、駅前から京福バスで矢戸口まで移動するルートになるようです。
何れにしても交通の便が悪い場所なので、注意した方がいいかと思います。

_ SHUN ― 2015/02/02 20:03

又三郎さん、コメントありがとうございます。
矢戸口の墓のことも、既にご存知だったのですね。さすがです。
交通手段も教えていただき、ありがとうございます。気候の良い時期に訪ねてみたいと思います。

_ (未記入) ― 2015/03/10 16:55

「敵対していた」とされる人物ゆかりの地に墓所(供養塔)があるというだけで
「敵対していた」とされる伝承のねつ造の根拠とするのは
あまりに短絡的に過ぎると思います
「ゆかりの地」が被っているが為と言うのも考えられますので
再考の材料と言う程度の表現に留めるべきでは
とくに今はまだその情報を得たばかりですし
新鮮な情報を発信したいというお気持ちも分からないことはないですが道聴塗説の感を受けます

なんせ加藤清正の墓所である本妙寺に小西行長の墓所もあるという事例もありますので
彼らの土地の境界線争いについての一次史料が未発見だとか
伏見地震の直後の加藤清正の書状の内容から
然程関係は悪くなかったのではという考察もありますが

あまり自論に史料を引き寄せすぎるのもどうかと思います。

_ (未記入) ― 2015/03/10 17:07

先程小西行長の墓に搦めてのコメントしたものですが
言葉足らずであったと思いましたので補足を
行長の墓自体は昭和になって作られたものなので新しいのです

戦国武将や明治の志士(特に赤根武士等戦前に評価が低かった人物)等については
ご子孫などが戦後統制が緩くなってから作られたものが少なくない印象なので

ブログなので何を書くかは自由ではあるのですが
世界中の人が見る場でありまた雑誌などに寄稿できる立場にある方が
新規情報を得たとしても即座にそれを自説の補強に採用するのは若干軽率ではないのかと思ってコメントした次第です

_ kz ― 2015/06/26 11:07

月刊おとなりさんに興味持ちました。
さしつかえなければ、三成公掲載の号を教えてもらえないでしょうか?
よろしくお願い致します。

_ SHUN ― 2015/07/19 21:23

kzさん、こんばんは!
ご紹介した「おとなりさん」は、2011年9月号です。

_ 中道正治 ― 2015/08/30 22:51

三成の墓はバス通りより200メートルの所に在ります,  4月なら草も生えいず8月は墓参りで草刈りしてあります

_ SHUN ― 2015/11/01 23:07

中道さん、
コメントありがとうございます。
実は7月に訪ねてみたのですが、看板はあっても墓が見つからず、地元の人に聞いてもわからず、もう無くなってしまったのだろうかと思っていました。

_ SHUN ― 2017/11/19 22:11

中道さん
連絡先教えていただき、ありがとうございます。
再訪できそうなときは、またご連絡させていただきます。

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