歴史街道七月号2016/06/05 22:28

歴史街道7月号特集「石田三成と大谷吉継」に、三成・吉継の堺奉行時代、博多復興に関わる記事を4ページほど寄稿しています。

http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/

宜しければご笑覧ください。

コメント

_ kosei ― 2016/06/07 20:59

コメントの返信をいただきありがとうございました。
歴史街道、購読させていただきます。

_ 又三郎 ― 2016/06/25 18:07

拝読しました。
この辺りは、私には疎い部分もあるので大変興味深く拝見しました。
特に、大谷吉継の蟄居の理由が、朝鮮出兵構想に反対したためとするSHUNさんの見解は、興味深かったところです。

と言うのは、「多聞院日記」の文禄元年(天正二十年)四月二十九日の記事に、名護屋城で御本所(織田信雄か)と吉継、三成、仙石秀久ら4人が秀吉を諫め、勘当されたとの噂があったことが書き留められています。時期的に秀吉の渡海について諫めたではないかとも推測できますが、他の文献で裏付けが取れないことが辛いところです。

織田信雄、仙石秀久、吉継らはこれ以前に秀吉の勘当を受けた過去を持つことから、彼らが必ずしも秀吉のイエスマンではなかったことを示しているのではないでしょうか。

あくまで、想像ですが、秀久や吉継の二人が以後も大名で在り続けるのも、秀吉が彼らのこうした一面を気に入っていたのかも知れません。

これからも頑張って研究をお続け下さい。

_ SHUN ― 2016/07/03 22:57

koseiさん、又三郎さん、拙稿お読みいただきありがとうございます。
文禄元年四月、三成渡海前に秀吉と衝突したのは、又三郎さんご指摘のように、時期的には秀吉渡海に関する話ではないかと思います。
でも三成・吉継はともかく、秀久・信雄がそこに名を連ねているというのは興味深いですね。
コメントありがとうございました。

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