【大河・真田丸】忍城攻め2016/06/18 10:37

第23回「攻略」では忍城攻めが取り上げられていました。

期待はしていたのですが・・・
さて、何から書くべきか・・・

山本耕史三成が、
「忍城は水攻めを(秀吉)殿下がお望みなのだ。」
と言ってたのは、評価できるかな。

「のぼうの城」初め、忍城攻めを扱ったドラマ・映画・小説のほぼ全てが、「水攻めは三成の発案」としていますが、当時の書状を読む限り、水攻めは秀吉の強い意志によるものだ、というのは二十年来、私が主張しているところです。

しかし・・・

真田昌幸が攻めあぐねた忍城に、三成が乗り込んでくる、という図式はいただけませんね。
三成が忍城攻めに参加するのは、六月五日ごろ、昌幸が合流してくるのは少なくとも六月二十日以降。
この辺は秀吉の書状が残っているから確かなことで、後から援軍としてきたのは昌幸の方ですね。

まあ昌幸は四月に箕輪城を攻めた後の動静がはっきりしないところがありますから、ひょっとして先発隊と一緒に一度忍城攻めてた、という可能性を100%否定はできないかも知れませんが、三成より先に忍城攻めてたのは浅野長吉ですから、そういう設定も苦しいですね。

まあ、他にも書きたいこと色々ありますが、この辺にしておきます。

しかし、山本耕史三成、相変わらず、性格のきつさが抜けませんね。
三谷幸喜氏は山本三成は、「関ケ原の頃に、助命嘆願ファンレターが来るようなキャラにする」と言われたそうですが、果たしてそんな人気になるのだろうか?

コメント

_ kosei ― 2016/06/19 19:28

歴史街道読ませていただきました。
堺の奉行として三成らが行ったことにその様な効果があったのてすね。
東日本大震災の折、現在に三成がいたら?と思いました(洪水での米俵の逸話があるので)
博多の復興のためのあらゆる努力、改めて優秀な人だったのだと思いました。
領地で大切に保存されてきた掟書きにあるように三成も人の話に耳を傾けてくれる人であったと思います。

_ SHUN ― 2016/11/06 20:37

Koseiさん、拙稿お読みいただき、ありがとうございます。堺、博多奉行時代の事績については史料が乏しく、苦労した記事ではありました。

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