三成-昌幸相婿説に関連して2016/11/06 20:40

このブログでも何回か書いたように思いますが、真田昌幸と三成は、ともに宇多頼忠の娘を妻にした相婿だという説があります。
そういうことを書いた史料は確かにあるのですが、信憑性には問題あり、真田側の研究者にはほぼ否定された説ですね。

正直、私もどうかなぁ、とは思っていますが(そうだったら面白いとは思いますが)

これに関し、水野伍貴氏が、三成祭での講演でこんな指摘をされていました。
「三成らが挙兵後に、大坂にいる諸将の家族を人質として収容した際、混乱を防ぐ為、親戚筋に引き取らすようにした。たとえば前田関係者は、縁戚の宇喜多が引き取るなど。
翻って真田を見ると大坂にいた家族は大谷が引き取っている。これは大谷が、信繁との縁で一番の親戚だったからで、もし昌幸、三成が相婿だったら石田家が引き取っていた筈である。」

中々説得力のある意見ですね。
大谷が真田の家族の面倒みて他のは三成書状に書かれていますから。

ただ本当に石田家がどのような人質の収容をしていたかは、よく見る必要あるでしょうが。(あまり血縁関係なしにやってたような気もします。)

コメント

_ ごん ― 2017/02/12 10:06

 はじめして。

 個人的に思うのですが、石田・真田家は大坂方から「人質を取られる立場」だったのではないでしょうか?大谷家はそうではなく、「大坂方」と一体化している。

 この大坂の家族って、確か、石田頼次の嫁(真田昌幸の娘)も入ってますよね。信繁の嫁(大谷吉継の娘)は、大谷家自身の保護下に入ってるのに、頼次嫁も大谷家の保護下になっている。

 通説では、石田三成が西軍決起を決意し、大谷吉継を説得したという流れですが、人質の流れを見るとそうではない。

 三奉行と当時(三成の穴を埋める形で)奉行として活動していた大谷吉継が首謀者としてはじめに西軍決起を計画し、三成は後から吉継によって味方になることを説得された、という形の方が人質の流れから見れば自然に感じられます。

 ちょっと記憶違いのところがあったら、すいません。よろしくお願いします。

_ SHUN ― 2017/11/07 22:57

ごんさん、興味深い視点紹介、ありがとうございます。
西軍が人質を取る経緯は三成書状にも書かれており、石田家が人質を取られる立場ということはないと思いますが、誰が誰を預かったかは、よく調べてみると面白い史実が出るかも知れませんね。

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