<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:dcterms="http://purl.org/dc/terms/" version="2.0">
  <channel>
    <title>石田三成と戦国史に関するBlog</title>
    <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/</link>
    <description/>
    <language>ja</language>
    <generator>mc 0.0</generator>
    <pubDate>Sun, 11 Jan 2026 16:42:37 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>知られざる三成と家康</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2026/01/11/9829872</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2026/01/11/9829872</guid>
      <pubDate>Sun, 11 Jan 2026 16:14:00 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-01-11T16:42:37+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-01-11T16:21:10+09:00</dcterms:created>
      <description>三成と家康に関する小稿を2023年にAmazonより出しています。&#13;&lt;br&gt;
当時の大河ドラマ「どうする家康」の背景紹介にもなると思い、比較的しられていない朝鮮撤兵時の両者の関係を考察しました。&#13;&lt;br&gt;
知人にも紹介いただき、大河ドラマの影響があって、読んでいただいた方も多かったようです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一部ネット記事にも、本稿に基づいたものが見受けられるようになりました。&#13;&lt;br&gt;
ただ引用される場合は、引用元を明記いただきたく、お願いします。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E4%B8%89%E6%88%90%E3%81%A8%E5%AE%B6%E5%BA%B7-%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%A7%8B%E3%80%81%E6%89%8B%E3%82%92%E6%90%BA%E3%81%88%E3%81%9F%E4%B8%A1%E9%9B%84%E3%81%AE%E4%BA%94%E3%82%AB%E6%9C%88%E9%96%93-%E4%B8%AD%E4%BA%95%E4%BF%8A%E4%B8%80%E9%83%8E-ebook/dp/B0CG4DKWJ4"&gt;https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E4%B8%89%E6%88%90%E3%81%A8%E5%AE%B6%E5%BA%B7-%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%A7%8B%E3%80%81%E6%89%8B%E3%82%92%E6%90%BA%E3%81%88%E3%81%9F%E4%B8%A1%E9%9B%84%E3%81%AE%E4%BA%94%E3%82%AB%E6%9C%88%E9%96%93-%E4%B8%AD%E4%BA%95%E4%BF%8A%E4%B8%80%E9%83%8E-ebook/dp/B0CG4DKWJ4&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2026/01/11/725b8a.jpg" length="111001" type="image/jpeg"/>
    </item>
    <item>
      <title>ツイッターはじめました</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2021/12/09/9446740</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2021/12/09/9446740</guid>
      <pubDate>Thu, 09 Dec 2021 20:31:36 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2021-12-09T20:43:05+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2021-12-09T20:43:05+09:00</dcterms:created>
      <description>遅まきながら、ツイッター始めることにしました。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://twitter.com/SHUN420922082"&gt;https://twitter.com/SHUN420922082&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
三成の事、オンライン三成会の事、ツイートしていきますので、宜しければフォローください。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2021/12/09/614b46.jpg" length="24870" type="image/jpeg"/>
    </item>
    <item>
      <title>3/14彦根で講演します</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2021/03/07/9354583</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2021/03/07/9354583</guid>
      <pubDate>Sun, 07 Mar 2021 14:48:24 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2021-03-07T14:53:55+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2021-03-07T14:53:55+09:00</dcterms:created>
      <description>来週、彦根で講演させていただきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一昨年の「お城EXPO」でも展示された、三成自筆の佐藤貞信宛書状の展示がありますが、それに合わせて書状に関するお話をします。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この書状、一読された方には三成の尊大さ傲慢さが表れているように受け取られるようですが、私はそうは思ってなくて、この書状は違う読み方をすべきと思っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私は&#13;&lt;br&gt;
「三成らしく三成らしくない手紙」&#13;&lt;br&gt;
だと思っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
詳しくは講演でお話ししますが、大変興味深い書状ですね。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
文書展示会は3/13,14の両日、講演会は3/14　13:30～です。&#13;&lt;br&gt;
主催者のサイトは以下です。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://sawayama.net/supporter-0/event/"&gt;https://sawayama.net/supporter-0/event/&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
コロナ禍で講演会は人数限定・事前予約制です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
会場に来れない方のためにYoutubeライブ配信もあります。&#13;&lt;br&gt;
配信チャンネルは以下です。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://youtube.com/channel/UCrAu8K5MGluBJC5EM20HFoQ"&gt;https://youtube.com/channel/UCrAu8K5MGluBJC5EM20HFoQ&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
三成は、なぜこんな書状を書いたのか？、私の考えを話させていただきたいと思います。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2021/03/07/5dbdd9.png" length="164778" type="image/png"/>
    </item>
    <item>
      <title>「石田三成からの手紙」に関する講演会</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/11/14/6633301</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/11/14/6633301</guid>
      <pubDate>Wed, 14 Nov 2012 00:14:36 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-11-14T00:15:52+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-11-14T00:15:52+09:00</dcterms:created>
      <description>&#13;&lt;br&gt;
今月23日に彦根で、拙著「石田三成からの手紙」に関する講演会を彦根で実施させていただくことになりました。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
当日、石田三成検定が実施されており、その検定終了後に同じ会場（清涼寺）で実施させていただきます。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
検定には受験料が必要ですが、講演を聞かれるだけなら無料ですので、お近くの方等宜しければお立ち寄りください。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
1.日時　11月23日（祝）14：20～15：30 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
2.場所　清凉寺講堂(佐和山麓) &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
3.備考　 &#13;&lt;br&gt;
　●事前登録、受講料等は不要です。 &#13;&lt;br&gt;
　●ただ当日14時まで同じ会場で石田三成検定が実施されていますので、講演だけ受講される方は、検定終了までは会場に入れないかと思いますがご了解ください。 &#13;&lt;br&gt;
　●三成検定ページも参照ください。&lt;a href="http://machinoeki.info/?tid=19&amp;amp;mode=f77"&gt;http://machinoeki.info/?tid=19&amp;amp;mode=f77&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>歴史一般</dc:subject>
      <dc:subject>石田三成からの手紙</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「石田三成からの手紙」－執筆余話－</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/31/6619735</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/31/6619735</guid>
      <pubDate>Wed, 31 Oct 2012 21:57:03 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-11-03T00:06:46+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-10-31T22:32:56+09:00</dcterms:created>
      <description>「石田三成からの手紙」、ようやく完成本が手元に届きました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
改めて読み直すと・・・・&#13;&lt;br&gt;
・・・・拙い文章が多く、本当に赤面します。もっと良く推敲するんだったなあ・・・&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まあちょっと言い訳すると、この本の話を出版社の方としたのが7月8日、初稿完成が8月18日で、1ヶ月程度の期間でこの本は書き上げた分けですが、執筆できたのは週末だけだったので、実質10日程度で書いたことになります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
原稿用紙約200枚分を10日、1日20枚ペースで書いたので、これは結構なハイペースじゃないかと。&#13;&lt;br&gt;
（まあ以前、他の歴史雑誌に書いた内容をほぼそのまま引っ張ってきたところもありますが）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
急いで書いたので、ちょっと文章が練れてないところもあります・・・と言ってみても仕方ないですが。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ちなみに、&#13;&lt;br&gt;
「SHUNさんも、これで印税生活ですか。」&#13;&lt;br&gt;
というような言われ方をされることもありますが、この本や「三成伝説」では私は稿料も印税も一切いただいてなくて、むしろ一部持ち出しで作ってもらってます。&#13;&lt;br&gt;
（その分、自由に書けましたが。）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
少しでも安くなって大勢の人に読んでもらえたら、という気持ちもありますが、そもそも発行部数が少なくて、印税どころか・・・という状況です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
三成本というのは、あまり売れないみたいですね。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
出版社も最初は超弱気で、精々数百部程度で考えていたようです。&#13;&lt;br&gt;
ネットでの前評判と、「のぼうの城」ブームを当て込んで、初版は少し刷り増したようですが、それでも大した部数ではありません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そういう事情で、仮に絶版になっても早々に増刷はされないと思いますので、もし拙著を「読んでやろう」という奇特な方は、お早めに予約をお願いします。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
書店も、かなり大きなところではないと置かないだろうなあ。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2012/10/31/243dcb.jpg" length="36848" type="image/jpeg"/>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
      <dc:subject>石田三成からの手紙</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「石田三成からの手紙」－なぜ12通なのか ―</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/20/6607331</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/20/6607331</guid>
      <pubDate>Sat, 20 Oct 2012 10:30:04 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-10-20T11:25:35+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-10-20T10:33:23+09:00</dcterms:created>
      <description>執筆に関わる裏話を少し書いておきます。本の目次はこれ↑&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実は元々考えていたタイトルは、&#13;&lt;br&gt;
「『戦国人・石田三成からの12通の手紙&#13;&lt;br&gt;
　　ー書状にみるその生き方ー』&#13;&lt;br&gt;
でした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
出版社の方の、シンプルなタイトルが良い、という意見でいまのタイトルになり、「12通」という文言はサブタイトルに廻っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ実は、この「12通」という数字には結構こだわりがありました。&#13;&lt;br&gt;
タイトルで紹介する書状は12通が良い、という感覚があったんですね。「11通」でも「13通」でもいけないと。&#13;&lt;br&gt;
なぜか理由は自分でも分かりませんでしたが。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ三成が心情を吐露した書状として、７，８通程度はすぐに思いつくのですが、残りがなかなか決まらない。&#13;&lt;br&gt;
数合わせのために書状を増やして紹介するのも何なので、「10通の手紙」か「11通の手紙」にしようかな、と思ったこともありましたが、どうもしっくり来ない。&#13;&lt;br&gt;
それで、無理やり含めた12通目が、第二章の直江兼続あての書状です。&#13;&lt;br&gt;
本書読んでもらうと分かりますが、これは結構事務的な手紙です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
無理無理押し込んだものの、あまり三成の人間性が表れた書状でもないので、その第二章は、さらっと書いてずっと放っておきました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その他の章は、そこそこ力を入れて書いて（まあアチコチで既に書いている内容もあるので）、全体をラフに仕上げて、読み直した最初の感想は・・・&#13;&lt;br&gt;
「うーん、何かテーマ性のない散漫な本になっちゃったなあ。」&#13;&lt;br&gt;
・・・ということでした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まあ人生のいろんな局面での書状を切り出して個別にとりあげていったので、何となく脈絡の乏しい本になるのは仕方ないかな、という気もしましたが、何か三成の人生を貫くテーマみたいなものは見いだせないだろうか、というあたりが不満だったんですね。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それで考えなおしたとき、ある瞬間、この最初いい加減に書いていた、二章の重要性とか意味合いが、急に見えてきたような気がしました。&#13;&lt;br&gt;
三成と上杉家（＝兼続）の関係は、単に政治的な繋がりではなく、三成の生き方を考える上で非常に重要だぞ、と。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それは天啓みたいなものでしたね。&#13;&lt;br&gt;
「そうか、だからこの本では二章に兼続宛ての書状がきてないといけなかったんだ！」&#13;&lt;br&gt;
「だからこの本には12通必要だったんだ！」&#13;&lt;br&gt;
と、そのとき自分自身で気づいた、という感じでした。&#13;&lt;br&gt;
最初は全く意図してなかったんですけどね。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それで二章は大々的に書き直してまして、出版の方にも迷惑かけましたが、何とか自分でも納得できるものになりました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私が感じた三成の人生のテーマというのは、本書のアチコチに書いていますが、自分自身の文才のなさもあるので、うまく伝わっているかどうか分かりません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私の感じ方が果たして正しいかについても、これからも自分自身でも考えていかないといけないと思っています。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2012/10/20/23e65d.jpg" length="16421" type="image/jpeg"/>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
      <dc:subject>石田三成からの手紙</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>新刊「石田三成からの手紙」10/29刊行</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/20/6607233</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/10/20/6607233</guid>
      <pubDate>Sat, 20 Oct 2012 08:57:35 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-10-24T23:57:24+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-10-20T09:12:34+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;以前、ここでも書いた新しい三成本ですが、今月末10/29に刊行されることになりました。&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="msg-pict-2" style="text-align: center;"&gt;&lt;IMG width="300" height="424" src="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2012/10/20/23e5ae.jpg" style="border: currentColor; width: 300px; height: 424px;"&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;facebook上に出版社の方が作られた公式ホームページがあります。&lt;BR&gt;&lt;A href="http://www.facebook.com/mitsunari1029" target="_blank"&gt;http://www.facebook.com/mitsunari1029&lt;/A&gt;&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;石田三成の書状について考察してみたい、というのは前々から思っていたことです。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;三成書状は現存しているものが少ないのですが、残っている書状には、かなり自身の心情を吐露したものがあります。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;三成自身の言葉で、その人物を語ることはできないか、試みてみました。&lt;BR&gt;ご一読いただいて、ご意見いただければ幸いです。&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;
</description>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
      <dc:subject>石田三成からの手紙</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>追悼－白川亨氏</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/05/03/6432824</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2012/05/03/6432824</guid>
      <pubDate>Thu, 03 May 2012 00:15:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-05-03T04:17:56+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-05-03T00:16:29+09:00</dcterms:created>
      <description>石田三成研究で知られる白川亨氏が逝去されました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
先ほど通夜から戻りました。&#13;&lt;br&gt;
ご霊前には多くのご著作が供えられていました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私が白川さんに初めてお会いしたのは、もう10年以上も前になります。&#13;&lt;br&gt;
石田三成の事績のみならず、歴史に関する姿勢に関して、白川氏から多くの事を教えていただきました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
僭越ながら、三成研究家としての白川氏の功績として大きなものを私が選ばせて頂くとするなら、まず第一に極楽寺系図等を発掘して石田一族の由来を明らかにしたこと、次に梵舜日記等の記述から北政所と三成の関係に新たな視点を与えたことかと思います。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
最後にお会いした際、&#13;&lt;br&gt;
「新しい史料を見つけたが、所有者の了解が無いので未だ本に書けない。」&#13;&lt;br&gt;
と言ったことも言われてました。私の浅学さゆえ、その史料のもつ意味合いは充分理解できませんでしたが、白川さんはその掘り出しかけていた新たな史実とともに逝かれました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
心よりご冥福をお祈りします。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
      <dc:subject>歴史一般</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>三成と家康の微妙なつながり</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/12/05/5560646</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/12/05/5560646</guid>
      <pubDate>Sun, 05 Dec 2010 23:04:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-12-05T23:04:36+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-12-05T23:04:36+09:00</dcterms:created>
      <description>相川司氏の「石田三成」（新紀元社）を読んでいる。 &#13;&lt;br&gt;
といっても、まだ全部目を通した分けではない。 &#13;&lt;br&gt;
斜めに読んでいる段階なので、曲解していたら申し訳ないが、内容には疑問を感じる部分もいくつかあるのだが、一方で中々興味深い記述もある。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
興味深い内容の一つには、利家没後のいわゆる七将襲撃事件の中で、家康が三成よりの立場を取っていた、というものがある。 &#13;&lt;br&gt;
同氏が主な典拠としているのは、「看羊録」。朝鮮の役で日本に抑留された朝鮮儒者の記録である。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
管見では、「看羊録」の記述に従い、家康と三成の新たな人間関係に視点をあてたのは、河合秀郎氏が最初と思う。 &#13;&lt;br&gt;
河合氏は同書の記述に従い、三成の新たな人脈に光を当てた。その中には、三成と家康を結びつきに関する考察もある。 &#13;&lt;br&gt;
実は河合氏がこのような考察をしていたこと、看羊録に興味深い記述があることを教えてくれたのはオンライン三成会でもご一緒しているＩ氏である。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
看羊録は、当時の風聞をまとめたものであり、歴史事件の当事者の記録ではない。 &#13;&lt;br&gt;
国内政治抗争には無関係な第三者の記述という意味では公平性はあるかも知れないが、風聞すなわち真実とは限らず、信憑性については注意して扱うべき資料である。 &#13;&lt;br&gt;
しかしＩ氏は、この辺の考察も進めていて、前田・徳川抗争における三成の立場に関する、看羊録の記述の一部を裏付けることができる史料も発掘されている。 &#13;&lt;br&gt;
（この辺のことは、いずれＩ氏がどこかで発表されると思うので、ここでは詳しく書かないが） &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
果たして家康と三成は、巷間伝えられるより親しい関係にあったのか？ &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これに対する結論は簡単には出さない方がよいが、私自身は、少なくとも秀吉没後の朝鮮の役収拾の中で、家康・三成は密接な協力関係にあったと考えている。 &#13;&lt;br&gt;
また三成研究家で、私も懇意にさせていただいている白川氏も、別な視点から家康と三成は近しい関係にあったことを指摘されている。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
真実がどこにあるかはともかく、この三成・家康関係に関する問題は歴史を学ぶ上で、我々が陥りがちな誤りを示唆しているように思える。 &#13;&lt;br&gt;
私たちは歴史の結論を知っているので、最後に決裂した三成と家康は、そもそも最初から対立した関係にあった、と先入観をもって思いがちである。 &#13;&lt;br&gt;
三成＝集権派、家康＝分権派というよく知られたレッテル付けが、ますますその先入観を助長している。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし実際の人間の関係はそう単純ではない。 &#13;&lt;br&gt;
かつての仇敵があとになって手を結んだり、その逆の関係もしばしば見られることである。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そういう意味で、三成と家康のある時期での関係に光をあてたという意味で、相川説は興味深い。 &#13;&lt;br&gt;
が、もちろん相川説に同意できない部分もある。それは、同氏が三成が家康と近い関係をもったのは、「自己保身のため」意味づけていることである。 &#13;&lt;br&gt;
私はもちろん三成の行動は肯定的に評価しているので、その私の視点から言えば、三成は自己保身のために、敵と手を結んだりしない。そんな狡猾さがあれば、そもそも関ヶ原の戦いなど起こしていない、と思っている。三成の行動規範は、もっと論理的で一貫している。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
現時点での個人的見解だが、三成と家康が共鳴することのできたとするなら、その理由の一つには、両者の思想の相似性があるのではないか、と考えている。両者はそもそも思想的に共鳴する部分があったのだ。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
三成と家康は、政治思想的には非常に近いものを持っていた。 &#13;&lt;br&gt;
これは家康が作った江戸幕府の仕組みを見れば明らかである。内政面において家康が作った国家が、その思想の多くを三成ら秀吉政権のものを踏襲していることは紛れもない事実である。 &#13;&lt;br&gt;
三成が、秀吉亡き後、自分の理想とする国家作りの継承者として、家康を見ていたとしても、あながち不思議とは言えないかもしれない。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ、もしそうであれば、どうして両者は最後に決裂したのだろうか？ &#13;&lt;br&gt;
三成をして、家康を排除すべき最大の敵と見做させたものは何なのか？ &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
通説にある豊臣政権防衛目的というのも、もちろん大きな理由であろうが、それだけではないように思える &#13;&lt;br&gt;
それに対する答えは私の頭の中には漠然とある。 &#13;&lt;br&gt;
まだ客観的な裏づけが充分ではないのだが、そのうち、この秀吉没後、関ヶ原へいたる政局を細かく執筆して、私見を世の中に問う機会があったらな、と思っている。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『歴史街道』9月号[総力特集]石田三成の真実</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/08/04/5268152</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/08/04/5268152</guid>
      <pubDate>Wed, 04 Aug 2010 19:43:34 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-08-06T07:04:16+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-08-04T19:47:17+09:00</dcterms:created>
      <description>『歴史街道』9月号(8/6発売）は、『[総力特集]石田三成の真実　何のために生きるか』と題して三成の特集記事が組まれています&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/"&gt;http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
中には私の記事もありますので、宜しければご覧ください。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
内容は、忍城攻めに関するもので、今までアチコチで書いてきたものと大差はないですが&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>学研歴史群像シリーズ５５「石田三成」再刊</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/02/09/4869149</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/02/09/4869149</guid>
      <pubDate>Tue, 09 Feb 2010 23:50:44 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-02-14T16:51:31+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-02-09T23:51:22+09:00</dcterms:created>
      <description>　&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
長らく絶版になっていた学研歴史群像シリーズ５５「石田三成」が再刊されることになったようです。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この本は1998年に出版されたものです。もう10年以上前ですね。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私はこの本で初めて「忍城攻め」不手際は三成の責任ではない、との持論を展開しました。 &#13;&lt;br&gt;
オンライン三成会を始めたのも、この本の出版直後ですし、そういう意味では私にとって記念碑的な本です。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
再刊は非常に嬉しいのです。・・・が、 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
改めて内容を見てみると、かなり古いですね。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
・・・というか、裏を返すと、この10年は三成研究が非常に進んだのだ、と言えるのかも知れません。 &#13;&lt;br&gt;
白川さん太田さんらの新しい研究がありました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
再刊を気に振り返ると、この10年は明治期に渡辺博士が「稿本　石田三成」を書かれて以来の、三成評価が進んだ期間だったのかもしれないな、という気がします。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2010/02/09/e5acc.gif" length="18030" type="image/gif"/>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>三成が目指したもの</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/02/08/4864699</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/02/08/4864699</guid>
      <pubDate>Mon, 08 Feb 2010 01:44:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-02-08T23:04:30+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-02-08T01:44:47+09:00</dcterms:created>
      <description>三成を嫌う人が良くいう言葉に、三成は残虐冷酷な男だ、というのがある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
例えば有名な関ヶ原合戦直前の書状（「古今消息集」所収）で、人質の二三人は成敗してしまえ、と言っているとか、秀次事件で妻妾処刑の指揮をとっている、とかいうのがその理由になるらしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
こういう批判には一々反論もあるけれど、ここでは書かない。&#13;&lt;br&gt;
ただ近代的なデモクラシーの視点から、三成を自由・平等・博愛的な観点に反するからといって非難するのは的外れだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ戦いを無くすことを目指したという意味では、三成は間違いなく平和主義者であったし、その姿勢は一貫していた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
戦乱が恒常化していた社会から戦いを無くすためにはどうするのか、その為に三成ら豊臣政権が取った方法は非常にユニークであったし、ずっと後世になってやっとその意図が理解されたものもある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この辺の研究には、藤木久志氏が一連の著作でふれている。&#13;&lt;br&gt;
氏は惣無事令など豊臣政権の一連の施策を「豊臣平和令」と総称されたことで有名であるが、氏の著作には本当に目から鱗の記述が多い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
例えば氏には「刀狩令」という豊臣政権の有名な政策にふれたものもある。&#13;&lt;br&gt;
刀狩令というと、農村を武装解除して一揆の温床を排除しようと意図したものと伝えられていて、私もかなりそう思っていた。&#13;&lt;br&gt;
事実当時の豊臣政権のプロパガンダでもそう述べられているのであるが、政権の狙いは実は違うところにあった、と氏は分析されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
氏の結論を要約してここに書いてしまうと、味も素っ気もなくなるので、それはやめておく。&#13;&lt;br&gt;
ただ氏が指摘しているようにが、刀狩令の後でも農村には多くの武器が残されていたし、別に政権側はそれらを根こそぎ没収しようなどということは、そもそも最初から意図していなかった、という事実は重みがある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
結局のところ、三成ら豊臣政権が意図していたものは、無秩序状態の社会に秩序をもたらす、ということであった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これをちょっと前の流行り言葉で言えば、「構造改革」ということになるかもしれないが、その改革は大きな痛みを伴うものであり、多くの人間は既得権益や名誉など、自分が依るべき基盤を失った。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ改革に反対する人々（これも今風に言えば抵抗勢力だろうが）に対しては、彼らは苛烈に徹底的に戦った。&#13;&lt;br&gt;
それを行った三成らには大きな理想と堅い決意があったのだと信じている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
豊臣政権のこれらの施策を、多聞院日記の英俊は「兵を用いずして天下を平均する方法」と述べている。当時としては鋭い分析眼と思うが、それらは全て平和的手段で行われたわけではない。ただそれはより大きな平和を目指すものであった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これらの荒療治を伴う施策が実現できたのは、政権側の強い意思だけではなく、内乱に疲れ、その終息を求める民意の後押しも強かったことだろう。&#13;&lt;br&gt;
そういう意味では三成らは民意を反映した政治家と言う事もできるのかもしれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
もちろん豊臣政権の全ての施策を三成がリードしたということは出来ない。また豊臣政権の施策には正負両方の側面がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただいわゆる平和令の中心には三成が居たし、彼はその精神を様々な面で実現している。&#13;&lt;br&gt;
これらにはまたいずれ触れたい。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>日経にオンライン三成会が紹介されました</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/01/14/4812546</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/01/14/4812546</guid>
      <pubDate>Thu, 14 Jan 2010 13:08:39 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-01-15T00:10:26+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-01-14T13:09:44+09:00</dcterms:created>
      <description>1/13日付けの日経新聞文化欄で、オンライン三成会が紹介されたことで、入会希望のメールを多数いただいている。&#13;&lt;br&gt;
ありがたいことである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
新聞では思いのほか大きな扱いで私自身も驚いた。&#13;&lt;br&gt;
この文化欄は長く地道な活動をしている人物・団体を多くとりあげているようだが、オンライン三成会も１０年に渡って活動を続けているという成果を評価いただいたものと思う。これも大変ありがたいことである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
長く続いた理由は、やはり石田三成を追い求める人間の集団である、メンバーのベクトルが一致している、というのが何よりと思う。&#13;&lt;br&gt;
ただそうは言っても、個々のメンバーがもつ三成像は微妙に違う。三成に惹かれる理由も異なる。&#13;&lt;br&gt;
そういった中で会が続いてきたのは、会発足当初の頃からのメンバー、（び）さん、（お）さん、（ぬ）さん、（し）さん、（い）さんらの存在が大きい、と感じる。&#13;&lt;br&gt;
私自身はそう求心力のある人間ではないので、こういう方々が中心になって会を続けていった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
佐和山城研究会を立ち上げた（び）さんのように、オンライン三成会を一つのステップにして、その人の繋がりから活動の幅を広げる人が出てくれるのも嬉しい。&#13;&lt;br&gt;
記事にはならなかったが、取材の中で私が強調したことの一つに、オンライン三成会の最大の意義は、三成を追い求める人たちの一つを繋げるための節点になることだ、ということがある。&#13;&lt;br&gt;
ネットの繋がりなので、人間関係は網の目のように広いがっていく。そのWebの一つの節にオンライン三成会がなればいい。もちろん節点は一つである必要はない。それを基に新たな人間関係が多くできれば会の意義がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この１０年、三成の評価はずいぶん変わった。&#13;&lt;br&gt;
次の１０年にどう変わるかは分からないが、その間も三成ファンの一つの接点としてこの会を続けられたらと思う。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>『三成伝説』というタイトル-Making of MITSUNARI LEGEND (1)-</title>
      <link>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/01/09/4804436</link>
      <guid>http://mitsunari.asablo.jp/blog/2010/01/09/4804436</guid>
      <pubDate>Sat, 09 Jan 2010 18:14:33 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-02-08T23:09:02+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-01-09T18:17:07+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;　「三成伝説」というタイトルには、異論があった。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="msg-pict-2" style="BORDER-BOTTOM: medium none; TEXT-ALIGN: left; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-TOP: medium none; BORDER-RIGHT: medium none"&gt;&lt;IMG width="141" height="200" src="http://mitsunari.asablo.jp/blog/img/2009/08/29/bbd6a.jpg" style="BORDER-BOTTOM: medium none; BORDER-LEFT: medium none; WIDTH: 141px; HEIGHT: 200px; BORDER-TOP: medium none; BORDER-RIGHT: medium none"&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　伝説、という言葉には、なんか、信憑性がない、怪しい、いかがわしい、という負のイメージがつきまとう。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　このタイトルは元々、「インパクトのあるタイトルを！」という出版社側の提案によるものという認識でいいたが、後で出版社担当のＹ氏に聞いたところ、Ｙ氏も反対だったということなので、どうも出版社専務一人の発案・推薦だったようである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　なにか「三成伝説」に変わるタイトルを、と会員間でも話し、中には好いタイトルの提案もあったのだが、なかなか「伝説」を越えるインパクトのあるタイトルは出なかった、というのが実情だ。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;（ちなみに元々の私の案は、「石田三成史跡ハンドブック」であった。これは確かにインパクトがない。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;　元々、サンライズ社の専務に本のポリシーを話しに行った時、こういうことを話していた。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;「三成に関する史跡の中では、由来がはっきりせず、史実として三成に繋がるのか怪しいものもある。&lt;BR&gt;　だが、そういう史跡でも、そこに「三成」という言葉が出てくる以上、そこから三成に思いを馳せた人たちが過去に存在していたはずである。&lt;BR&gt;　例えば秋田に「三成の墓」と伝えられるものがある。これが三成本人のものでないことは確かだが、そういう伝承がある以上、そこで三成を偲んだ人たちがいたのではないか。そういう史跡もとりあげて紹介したい。」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;　そういう主旨からいえば、「伝説｣というタイトルは似つかわしいと言えなくもない。&lt;BR&gt;　また皆で「伝説」というタイトルを仮題として使っていったところ、何となくそのタイトルが馴染んできてしまったという事情もある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　そうして「三成伝説」というタイトルが決定されたわけだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;　今はこう思っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;『三成には負の伝説がある。&lt;BR&gt;　江戸期の長い迫害と中傷の中で作られた虚構の「伝説」だ。&lt;BR&gt;　その伝説の嘘を暴きたい。&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　また三成には隠された正の伝説がある。&lt;BR&gt;　これも江戸期に、三成を慕う人の中で表に出せず、秘かに語り継がれた伝説だ。&lt;BR&gt;　そういう伝説を掘り起こしたい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;　この本の「伝説」というタイトルにはそういう二つの思いが篭められている。』&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;この意見が単なる後付けの説明かどうかは、読んだ方に判断してほしい。&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;
</description>
      <dc:subject>三成伝説</dc:subject>
      <dc:subject>三成公</dc:subject>
    </item>
  </channel>
</rss>
