三成と家康の微妙なつながり2010/12/05 23:04

相川司氏の「石田三成」(新紀元社)を読んでいる。
といっても、まだ全部目を通した分けではない。
斜めに読んでいる段階なので、曲解していたら申し訳ないが、内容には疑問を感じる部分もいくつかあるのだが、一方で中々興味深い記述もある。

興味深い内容の一つには、利家没後のいわゆる七将襲撃事件の中で、家康が三成よりの立場を取っていた、というものがある。
同氏が主な典拠としているのは、「看羊録」。朝鮮の役で日本に抑留された朝鮮儒者の記録である。

管見では、「看羊録」の記述に従い、家康と三成の新たな人間関係に視点をあてたのは、河合秀郎氏が最初と思う。
河合氏は同書の記述に従い、三成の新たな人脈に光を当てた。その中には、三成と家康を結びつきに関する考察もある。
実は河合氏がこのような考察をしていたこと、看羊録に興味深い記述があることを教えてくれたのはオンライン三成会でもご一緒しているI氏である。

看羊録は、当時の風聞をまとめたものであり、歴史事件の当事者の記録ではない。
国内政治抗争には無関係な第三者の記述という意味では公平性はあるかも知れないが、風聞すなわち真実とは限らず、信憑性については注意して扱うべき資料である。
しかしI氏は、この辺の考察も進めていて、前田・徳川抗争における三成の立場に関する、看羊録の記述の一部を裏付けることができる史料も発掘されている。
(この辺のことは、いずれI氏がどこかで発表されると思うので、ここでは詳しく書かないが)

果たして家康と三成は、巷間伝えられるより親しい関係にあったのか?

これに対する結論は簡単には出さない方がよいが、私自身は、少なくとも秀吉没後の朝鮮の役収拾の中で、家康・三成は密接な協力関係にあったと考えている。
また三成研究家で、私も懇意にさせていただいている白川氏も、別な視点から家康と三成は近しい関係にあったことを指摘されている。

真実がどこにあるかはともかく、この三成・家康関係に関する問題は歴史を学ぶ上で、我々が陥りがちな誤りを示唆しているように思える。
私たちは歴史の結論を知っているので、最後に決裂した三成と家康は、そもそも最初から対立した関係にあった、と先入観をもって思いがちである。
三成=集権派、家康=分権派というよく知られたレッテル付けが、ますますその先入観を助長している。

しかし実際の人間の関係はそう単純ではない。
かつての仇敵があとになって手を結んだり、その逆の関係もしばしば見られることである。

そういう意味で、三成と家康のある時期での関係に光をあてたという意味で、相川説は興味深い。
が、もちろん相川説に同意できない部分もある。それは、同氏が三成が家康と近い関係をもったのは、「自己保身のため」意味づけていることである。
私はもちろん三成の行動は肯定的に評価しているので、その私の視点から言えば、三成は自己保身のために、敵と手を結んだりしない。そんな狡猾さがあれば、そもそも関ヶ原の戦いなど起こしていない、と思っている。三成の行動規範は、もっと論理的で一貫している。

現時点での個人的見解だが、三成と家康が共鳴することのできたとするなら、その理由の一つには、両者の思想の相似性があるのではないか、と考えている。両者はそもそも思想的に共鳴する部分があったのだ。

三成と家康は、政治思想的には非常に近いものを持っていた。
これは家康が作った江戸幕府の仕組みを見れば明らかである。内政面において家康が作った国家が、その思想の多くを三成ら秀吉政権のものを踏襲していることは紛れもない事実である。
三成が、秀吉亡き後、自分の理想とする国家作りの継承者として、家康を見ていたとしても、あながち不思議とは言えないかもしれない。

ただ、もしそうであれば、どうして両者は最後に決裂したのだろうか?
三成をして、家康を排除すべき最大の敵と見做させたものは何なのか?

通説にある豊臣政権防衛目的というのも、もちろん大きな理由であろうが、それだけではないように思える
それに対する答えは私の頭の中には漠然とある。
まだ客観的な裏づけが充分ではないのだが、そのうち、この秀吉没後、関ヶ原へいたる政局を細かく執筆して、私見を世の中に問う機会があったらな、と思っている。

コメント

_ 三成萌え ― 2011/05/12 16:12

はじめてカキコさせていただきます。
最近、三成にはまって自分なりに勉強しているものです。

どこかの本で読んだのですが、朝鮮の役で兵糧が不足し、三成が、

「前田利家と徳川家康からは兵糧を供出していないが、
 このまま戦争が続けば供出させないといけない」

…と話していたというのを読みました。
家康は朝鮮戦争の負担が自分にふりかかるの嫌い、
それが三成との協調の理由のひとつではなかったのかと、
ふとそんなことを思いました。

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